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自己紹介やこのブログについて(目指したいことなど)
どうも初めまして。映像クリエイターの由井友彬(Instagram@tomoaki_yui)です。
今回の記事は第1回目ということで、簡単に「僕がどんな経歴で映像の道に入ったのか」、「このブログを通して伝えたいこと」について書いていこうと思います。
今回の記事は第1回目ということで、簡単に「僕がどんな経歴で映像の道に入ったのか」、「このブログを通して伝えたいこと」について書いていこうと思います。
美容師だった僕が映像クリエイターになるまで
僕は、東京を拠点とするフリーランスの映像クリエイターで、現在は主に企業系のプロモーション映像を制作しています。1990年生まれの29歳で、石川県出身です。
僕は小学校の頃から映画が好きでした。
高校時代は周りが受験勉強をしている中、ひたすらTSUTAYAで映画を借りまくってました。
当時は高校生にも拘らず一人暮らしをしていたので、休みさえあれば映画ばかり観ていた記憶があります。
毎日学校が終わると友達をTSUTAYAに引っ張っていき、映画選びを手伝ってもらっていました。
かなり自己中な友人だったと今では反省しています。笑
「ずっと映像をやってきた人間」と思われがちですが、高校を卒業した後は上京。
美容の専門学校に入った後、23歳までは都内で美容師をしていました。
その後「もう一度勉強がしたい」と思い、24歳で日本の4年制大学に入り、その後アメリカの西海岸の大学へ留学しました。
そのアメリカ留学中に、それまでは趣味だった映像を仕事としてやり始めて、今に至ります。
美容師から大学に入って勉強しようと思った理由
美容師をしている時、ニューヨークに行く機会がありました。その際にニューヨークの圧倒的なエネルギーの中、「自分の将来なりたい自分」と「このまま美容師を続けて行ったらこうなるだろうと想像した時の自分」のギャップにとても悩み、一気に将来が見えなくなりました。
その時は美容師の資格や知識しか持ち合わせていなかったので、「とにかく大学に入りもう一度初めから自分の教養を養い、将来の選択肢を増やそう」と思いました。
それこそが大学に入ろうと決意した一番の理由です。
それまではニューヨークも含め海外に時折行っていましたが、英語に関しては今まで勉強をしてこなかったツケがあり全く分からず、23歳で「大学に入ろう」と決意してから初めて英単語やbe動詞を勉強しました。
英語を喋れるようになりたいけど躊躇している方へ。
今からでも絶対に大丈夫です。本当に喋れなかった僕にもできたのだから。
一番最初はとにかく受験英単語帳を買ってきて、3500語くらいをひたすら覚えまくれば道は拓けます。
アメリカへ留学した理由
アメリカ留学は、大学1年生の頃から目標にしていました。理由は「アメリカに行きたかったから」。本当にそれだけです。笑
ただお金がなかったので奨学金留学がマストでした。
そこで「一番お金がもらえる留学奨学金」を調べまくり、文科省の実施している「トビタテ留学JAPAN 日本代表プロジェクト」に応募し、なんとか奨学金を手にして、渡米できました。
留学先では、General Study(※1)を中心に学んでいました。
ですが、「どうせアメリカにいるんだから興味あることを学びたい」と思い、「Cinematic Arts & Technology(※2)」の中の映像の授業も受講しています。
その時は「趣味」くらいに思っていましたが、その中で色々な映像に深く触れたことも、その後「映像」を仕事にしようと思うきっかけになっていると思います。
※1:一般教養課程。米国の大学では、一般教養は専門分野を学ぶ前の必修。学問の基礎として位置付けられている。
※2:映画芸術学科に相当。
なぜ映像クリエイターに転身したのか?
映像自体は、趣味で大学入学時に買ったCanon 70DとGoProを使って、Instagramに投稿していました。それをアメリカ留学時にも思い出づくりの一環で続けていたのですが、ある日ルームメイトに、「それ(映像)を仕事にしたらいいのに〜」とサラッと言われたことがありました。
そのひと言で初めて、仕事としての「映像」を意識し始めたのを覚えています。
もともと留学前から「せっかくこの歳で大学生をしているのだから、普通に卒業して就職は嫌だ」と生意気にも思っていたので笑、留学中は「好きなことをトコトンやる精神」で映像を仕事にできないか考え始めていました。
「映像」は僕が小さい頃から情熱をかけていた分野です。
「どうせやるならダメでもトコトンやりたい」と思い、ある日系の旅行会社にメールを送ったのが全ての始まりです。
どうやって映像を勉強したのか?
よく「映像系の大学に入ったのか」と質問を受けますが、大学での専攻は哲学、映像は完全な独学です(主にYouTube)。留学中に少し映像の授業を受講したことはありましたが、専門技術に係ることではなく、主に映像の基礎やストーリーテリングを中心に学びました。
仕事として映像を始められたのも、いわゆる「映像を学ぶ学校」→「プロダクション」のような王道ルートではなく、完全にネットから派生したある意味新種の映像クリエイターです。
どうやってキャリアをスタートさせたのか?
上でも少し述べましたが、一番最初はアメリカにいる時に、自分から飛び込み営業をかけました。具体的にはアメリカにある日系企業の「H.I.S. USA」。
そう、日本の大手旅行会社H.I.S.のアメリカにある会社です。
「飛び込み」と言っても、僕の場合実際に出向いたわけではありません。
実は、皆さんが普段見るような会社のホームページにある「お問い合わせ」のページからメールを送ったのが全ての始まりなんです。
具体的なメール内容やそのやりとりはまた別の機会でまとめて記事にしますが、そうやって僕のキャリアはめちゃくちゃ大きなご縁と共に始まることになります。
その後、留学先の大学オフィスにもそのことを話し、大学のプロモーション映像を制作させてもらいました。そういうことをアメリカで続けていくうちに、だんだんと日本からも声がかかるようになり、繋がりが繋がりを呼び、日本を拠点にしてのフリーランス生活が始まったのでした。
ブログを通して伝えたいこと
僕は、このブログの読者に「僕の持ってる映像に関する知識や技術を伝えたい」と思っています。それは、「海外での映像制作に携わってきた経験者」として日本の映像を見たとき、「日本の映像作品のレベルを上げていかないといけない」と思ったからです。
要は、「日本の映像業界、特にフリーランスの映像制作者のレベルを、一緒に切磋琢磨して向上させて行きたい」という事です。
ターゲットとしては、「映像初心者」の方から僕のように「もうすでに仕事として映像をやってる人」まで幅広く考え、それぞれの段階にあった「価値のある情報を」伝えていきたいなと思っています。
僕には、実は「いつか物書きをしてみたい」という小さな夢が昔からありました。
今回は、それが少し叶った事になります。いつかは雑誌の連載とかもしてみたいので、もしも雑誌編集者の方がこの記事をみていたら是非ともご連絡ください。
今後書いていきたいトピックの予告
機材の話から編集方法、フリーランスの価格設定方法まで包み隠さず伝えていくことを目指します。このサイト自体無料で読めるものになっているので、どんどん吸収して、価値ある情報だと思ったらより多くの人に拡散してもらえると嬉しいです。
おわりに
映像をキャリアとして続けていられるのも、全ては周りのサポートがあったからです。今まで数え切れないほどの人にお世話になってきていますし、今現在もたくさんの支えの元にこの文章を書いています。
そんな僕ですが、先にも述べたように、このブログを通して「日本の映像業界、特にフリーランスの映像制作者のレベルを、一緒に切磋琢磨して向上させて行きたい」と強く思っています。
僕自身まだまだ未熟者ですが、それでも自分の持っている技術や知識、経験は、余すことなくお伝えしていくつもりです。
ここから一緒に変えていきましょう。